1.ウィーン体制
19世紀前半のヨーロッパの国際秩序
1814~15 (1 )の開催 … フランス革命とナポレオン戦争後の処理
(2 )… すべてをフランス革命前にもどす(それが正当であるとする)
→ 領土をフランス革命前に戻す、フランスはブルボン家が復活
(3 )… ロシアのアレクサンドル1世が提唱、キリスト教の博愛精神に基づく君主間の盟約。イギリス・ローマ教皇・オスマン帝国以外が参加
(4 )… イギリス・ロシア・オーストリア・プロイセン、のちにフランスが参加。軍事・政治的同盟。
自由主義・ナショナリズム運動を弾圧 → 墺・露が中心となる、各地で反発の動きが強まる


ウィーン体制は、フランス革命とナポレオン戦争によってヨーロッパ中に広まった「自由・平等」に対して反発する勢力の巻き返しです。今までのままのほうがよい人々を「王党派」とよびます。そして、この人たちは「保守派」です。それに対して、自由平等を唱えている人たちは世の中を変えようとしているので「革新派」ですね。
歴史を大きくみると、革新派が勝利します。つまり、もう王党派の時代ではないのです。歴史の流れに逆らうことは不可能です。つまり、王党派は敗れ去っていきます。どのように敗れ去っていくのかを理解しましょう。
2.イギリス
自由主義の進展
① 議会制民主主義の発展

② アイルランド問題
クロムウェルがアイルランドを征服

1801 アイルランドを正式に併合、グレートブリテン=アイルランド連合王国の成立

③ ヴィクトリア時代
19c後半、大英帝国の最盛期
1851 世界初の(9 )をロンドンで開催、イギリスの工業力を誇示

3.フランス
19世紀前半に2回の革命
ブルボン朝を打倒 → 7月王政の成立(資本家中心の政治)
民衆を導く自由の女神(Wikipedia)

ナポレオン3世はナポレオンの甥です。ナポレオンはフランス革命の成果(自由平等)の擁護者であり、フランスの栄光を実現する者でもありました。
フランスはウィーン体制後政治的には混乱期に陥ります。これは保守派が復活を狙い、それに対して革新派が反発するという流れの中で起こった出来事です。
そこに出てきたのがナポレオン3世です。フランス人はナポレオン3世に何を期待したのでしょうか。きっと、ナポレオンの影を追ったのでしょう。

4.ロシア
皇帝専制政治(ツァーリズム)が強固 = 近代的な政治が行われていない
1853~56 (14 )に敗北 … ロシアの近代化の遅れが露呈
→ 1861 皇帝(15 )が農奴解放令を発布 But 近代化は進まない
5.イタリア
北部は都市共和国、中部は教皇領、南部は両シチリア王国に分裂
1861 サルデーニャ王国を中心に統一され、(16 )が成立

6.ドイツ
プロイセンを中心に統一
1866 オーストリアとの戦争に勝利、ドイツ統一の主導権を握る
ビスマルク外交 … 1882 三国同盟(独・墺・伊)を結成

7.アメリカ
南北戦争終結後、工業化が一気に進展
① 領土拡大と西部開拓 … 先住民は西部の(20 )に強制移住
→ 太平洋岸への関心が高まる = 1853 (24 )が浦賀に来航


北部:人道的に反対 … ストウ夫人 『アンクル=トムの小屋』

展開
The Government of the people,by the people,for the people.
1865.3 北部が南部に勝利して南北戦争が終結
戦後のアメリカ
産業革命が本格化、世界一の工業国へ


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