甲斐国(山梨県)を中心とした領土を支配した戦国大名。
戦国大名は天下統一を目指し、自国が強くなるためにさまざまな政策を行いました。
その一つが治水工事です。
洪水を防ぎ、民が安心して暮らせる、そして米がたくさん取れれば国は強くなります。
武田信玄が作ったと言われるのが信玄堤です。
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信玄堤は霞堤と呼ばれる堤防です。
左の図のように堤防が連続しておらず、洪水が起こった時に水がここから溢れます。こうして水の勢いを削ぎ、大規模な洪水を防ぐという意図で作られた堤防です。
まず、「信玄堤」という言葉を答えられるようにしましょう。「堤」という時は「テヘン」ではなく「ツチヘン」です。気をつけましょう。
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甲府盆地では赤石山脈から流れてくる釜無川と関東山地から流れ出す笛吹川が合流します。そして、富士川と名前を変え南へと流れて行きます。
もちろん、富士川は最上川、球磨川と並んで日本三急流の一つです。
この合流地点付近に作られたのが信玄堤です。
残念ながら現代ではほとんど残っていないそうです。
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ちなみに霞堤は現代でも(少ないとはいえ)存在します。
時事問題で「自然災害」について学んだ方は近年日本で豪雨・洪水が増えていることはご存知でしょう。
その結果、霞堤のある地域では当然、水があふれます。
一部の地域に洪水が集中することが果たして公平と言えるのか、問題になっている地域もあるようです。
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