Ⅰ
次の文章を読み、後の問いに答えなさい。
2015年、 ( 1 )が採択され、世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2°Cより十分低く保ち、1.5°Cに抑える努力をすることとなった。1997年に採択された( 2 )は、アメリカ合衆国が締結を見送るなど、実効性に問題があったが、( 1 )は、目標であって義務ではないということもあり、アメリカ合衆国を含む196か国が参加し(2015年時点)、実効性のある協定となることが期待されている。
地球温暖化の抑制には( 3 )の削減が有効であり、これまで工業化を支えてきた石炭・石油等の( 4 )から脱却する「脱炭素」が鍵となる。そのための提案の一つが、再生可能エネルギー、とりわけ太陽光、風力、( 5 )の利用拡大で、成長が期待されている分野とされている。風力は、欧州では無視しえないエネルギー源となっている。日本での利用はこれからであるが、洋上風力は次世代のエネルギーとして注目されている。いま一つの提案は、ガソリン自動車から電気自動車への転換である。日本では、2030年代半ばまでに新車販売で電動車を100%とする目標を掲げている。
脱炭素の動きに伴って、今後大幅な需要の拡大が予想されるのがレアメタルである。例えば、電気自動車には、ガソリン車と同様、鉄や銅といったベースメタルが必要であるが、そこに搭載される電池には、リチウムのほか、コバルトやニッケルといったレアメタルが必要となる。また、風力発電用のモーターに使われる磁石の材料はネオジムと呼ばれるレアアースであり、これもレアメタルの一種である。
レアメタルの特徴は、(ア)生産が少数の国に集中する傾向が強いことにある。特に中国は、安い人件費を武器に独占化を進めている。資源のユーザーにとって調達先が限定されていることは大きなリスクである。2010年に( 6 )の沖合で中国の漁船と日本の海上保安庁の巡視船が衝突した際、中国は日本へのレアアースの輸出を事実上停止した。今後も、(イ)鉱物資源はさまざまな場面で外交カードとして利用されることが予想される。そうしたリスクに備え、資源の輸入国はさまざまな手段を講じておく必要がある。
日本はかつてさまざまな鉱物資源に恵まれていた。液晶パネルや太陽電池の材料として使われるレアメタルである( 7 )が北海道の豊羽鉱山で採掘されていた。しかし、2006年に豊羽鉱山が閉山となると、日本はレアメタルのほとんどを輸入に依存するようになった。日本が技術立国として発展していくためには、鉱物資源の確保は極めて重要であり、さまざまな対策が実行に移されている。
電子機器にはさまざまな鉱物が埋め込まれている。日本国内には、経済成長の過程で生産、輸入された大量の電子機器が蓄積されており、( 8 )と呼ばれる。(ウ)廃棄された電子機器から鉱物を回収することによって、膨大な量の鉱物を「採掘」することができる。資源の輸入依存から脱却し、( 9 )社会を実現するのは、資源を「持たざる国」日本にとって重要な選択肢である。
日本は島国であり、200海里沖まで広がる( 10 )を含めると、開発可能な海底の面積は広大である。近年の調査によると、日本の東端にある( 11 )の沖合には、レアアースを多く含んだ泥が堆積している。今後、日本が資源大国になる可能性もある。また、( 12 ) をつうじて、隣接する島々に資金援助や技術支援を行えば、資源の調達先の多様化にも寄与すると考えられる。ただし、海底資源の開発は始まったばかりであり、(エ)解決しなければならない課題も山積している。
Ⅱ
次の文章を読み、後の問いに答えなさい。
今日においても世界各地で見られる民族紛争は、言語、宗教、文化等の違いによる対立、民族間の領土 (国家の(ア)主権が及ぶ陸地)の争奪など様々な要因から生じる。
複数の言語を有する国や地域では、公用語の設定などをめぐって民族紛争が発生する場合がある。ベルギーでは、オランダ語を使用する( 1 )とフランス語を使用する( 2 )にほぼ二分され、言語戦争と呼ばれる対立を招いたのはその例である。
列強による外交政策や植民地政策が民族紛争の原因になり得る点は注目されてよい。
第一次世界大戦中、パレスチナにおける利権の拡大を図るイギリスは、フサイン・マクマホン協定や(イ)バルフォア宣言の表明など、二重外交を展開し、深刻な民族対立の原因を作った。第二次世界大戦後、 国際連合による( 3 )を受け、ユダヤ人は( 4 )年、 イスラエルを建国したが、 これに反発したアラブ諸国との間に( 5 )が勃発した。1964年、アラブ人は( 6 )を結成して抗戦してきたが、その後も両者の紛争は激しさを増し、今なお解決を見ていない。
宗主国が植民地支配のために分断統治を行い、 民族紛争を作り出すこともある。( 7 )では、宗主国であるベルギーが少数派の人( 8 )を優遇し、多数派の( 9 )を冷遇する政策をとったことが両民族の抗争の原因である。宗主国からの独立後も民族紛争は続き、1994年に起きた( 9 )過激派による大量殺戮により多数の人々が犠牲となった。イギリスとエジプトの共同統治下にあったスーダンでも、民族の異なる南部と北部の分断統治が行われ植民地支配に利用された。その影響は宗主国からの独立後も続き、長期にわたる南北紛争を経て、2011年、( 10 )が分離独立した。しかし、スーダン西部では政府軍と反政府勢力の間に( 11 )が発生し、( 10 )との国境付近でも紛争が発生するなど、未解決問題を抱えている。
国境には自然的国境と人為的国境があるが、リビアと東経( 12 )度、 スーダンと北緯( 13 )度でそれぞれ隣接するエジプトは後者の例である。列強の利害に基づいて設定された人為的国境は民族を分断し、民族紛争の引き金になり得る。( 14 )と呼ばれるクルド人居住地は、列強によって第一次世界大戦前後に分断され、現在では、( 15 )、イラク、イランなど数か国にまたがっている。いずれの国でも少数民族であり差別的な扱いを受けてきたクルド人は、独立を求め活発な武力活動を続けている。
大国間の軍事バランスの崩壊も民族紛争の原因になり得る。解体前のユーゴスラビアは、多くの民族、宗教、言語が複雑に入り組んだ民族紛争の起こり易い地域である。第二次世界大戦後は、独自の社会主義体制のもとで民族融和が進んでいたが、東西冷戦終結後、民族紛争が表面化した。1991年、北部のスロベニアと( 16 )が分離独立を求めて内戦が勃発、翌年、( 17 )が独立宣言を行い軍事衝突が発生した。続く1998年、( 18 )人が多数を占める( 19 )自治州が独立を求めて紛争が発生したが、最終的に( 20 )の軍事介入によって停戦合意に至り、2008年、独立を宣言した。
民族紛争によって多くの人々が他国への移住を余儀なくされると難民が生まれる。その対応には、受入国のルール、文化及び価値観などを難民に押しつける同化主義をとる国もあれば、それらを尊重する(ウ)多文化主義をとる国もある。他方、当事国同士では解決が困難なことも多く、( 21 )や各国のNGOが協力して難民の保護や人道的支援に当たっている。
Ⅲ
次の文章を読み、後の問いに答えなさい。
もともとラテンアメリカには先住民族である( 1 )が生活していたが、16世紀になるとヨーロッパ諸国の植民地となり、多くのヨーロッパ系民族が移住してきた。その多くはラテン系の人々であったが、( 2 )は、イギリスの植民地であったために現在も公用語に英語が用いられている。その後、アフリカから奴隷が、農園の労働力として、また18世紀以降には金採掘のための労働力として連れてこられ、先住民と移住者の混血を繰り返しながら、人種構成の多様性が生み出されていった。ボリビアや( 3 )などは先住民の割合が相対的に多いが、1500年に、( 4 )領となったブラジルはヨーロッパ系や混血が多く、さらに近代に入ってからは日本をはじめとするアジアからの移民を受け入れているため、人種構成が多様となり「人種のるつぼ」といわれている。
このような歴史的背景のあるラテンアメリカには、ヨーロッパから ( あ )という農業の経営形態が持ち込まれた。ブエノスアイレスを中心に広がる平原は( 5 )と呼ばれ、アルゼンチンや( 6 )の農牧業の中心地となっている。( 5 )の東部は、( 7 )やトウモロコシの栽培、牧畜が盛んである。一方、( 8 )気候区にある西部では、広大な牧場で羊などの( 9 )が行われている。ブラジルでは、( 10 )と呼ばれる大農園で ( 11 )や(ア)さとうきびが栽培されている。ブラジル高原の南部には、玄武岩が風化した肥沃な土地である。( 12 )と呼ばれる間帯土壌が分布し、( 11 )の栽培に適している。ブラジル高原に広く分布する( 13 )という熱帯草原では、日本の政府開発援助を受けた灌漑設備の導入や農業技術の進歩によって( 14 )の栽培などが行われるようになり、いまでは、ブラジルの主要な輸出品のひとつとなっている。また、西インド諸島やエクアドルなどでは、( 15 )農業によるバナナやさとうきびの栽培が行われている。
ラテンアメリカは、(イ)特定の一次産品に依存する経済体制であったため、国の経済が生産量や価格変動のリスクにさらされがちであった。そのため、20世紀半ば以降外国からの借り入れに依存しながら、( 16 )型の工業化が進められた。その結果、深刻な( 17 )の増大、急激な経済発展による貧富の差の拡大などの問題が生じている。そのような状況下でも、ラテンアメリカ諸国は、経済の自由化や地域統合を進めてきた。メキシコは1994年に( 18 )に加盟し、アメリカ合衆国との経済的関係を深めた。その後2020年には( い )という新たな貿易協定が発効した。ブラジルは、アマゾン川河口から約1500km上流に位置する河港都市( 19 )に自由貿易地区を設け、日本企業なども誘致された。1995年にはラテンアメリカ全体の経済統合に向けて、 ブラジルとアルゼンチンを中心とする ( う ) が発足し、域内の自由貿易市場の確立を目指している。また、ブラジルは( 20 )、 インド、中国等と共に BRICS を構成し、経済的にも注目を集めていた。
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