ある出来事の当事者の発言や観察者による記録は、歴史を考える際の重要な資料となる。こうした資料について述べた次の文章A・Bを読み、後の問い (問 1~5)に答えよ。(配点 15)
A 次の資料は、ウィンストン=チャーチルの『偉大な同時代人たち』の一部である。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
資料
スペインが世界大戦で厳正な中立を守ったことは、驚くようなことでなかった。スペインと連合国との間の歴史的障壁は、乗り越えられないものであったからだ。ナポレオンの侵略がもたらした悲惨な苦難の記憶は、スペイン人の心にわだかまったままである。この苦難から100年経った今も( ア )とスペインとの間に共感は芽生えようがない。( イ )にジブラルタルを奪われたことは、もはやスペイン人を激高させることは少ないものの、いまだにその意識に大きな影響をもたらしている。しかし、スペイン人が最も嫌悪している国はアメリカ合衆国である。スペインの最後の植民地がアメリカ合衆国に奪われたことは、誇り高き民族の胸を抉って、激痛を走らせた。
問1
前の文章中の空欄( ア )と( イ )に入れる国の名の組合せとして正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
問2
次の図中に示したa~dのうち、前の文章中の「スペインの最後の植民地」に含まれる地域として最も適当なものを、後の①~④のうちから一つ選べ。
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B 冷戦期、ソ連は、( ウ )にミサイル基地を建設しようとした。アメリカ合衆国は基地建設に反発して、( ウ )を海上封鎖し、米ソ間で一触即発の危機が発生した。米ソ首脳による交渉の結果、ソ連はミサイルの撤去に同意し、衝突が回避された。次の資料は、その出来事の翌年に、当時のアメリカ合衆国大統領が行った演説である。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
資料
我々はジュネーヴで、軍拡競争の緊張を緩和し、偶発的な戦争の危険を軽減する軍備管理の第一段階について、交渉を進めてきました。これらの交渉のなかで、終わりは見えながらも新たな始まりを大いに必要とする一つの重要な分野が、核実験を非合法化する条約の交渉でした。当該条約は、最も危険な地域の一つで、軍拡競争の悪循環を抑えることになるでしょう。
これに関して、私は二つの重要な決定について発表いたします。第一に、フルシチョフ第一書記とマクミラン首相並びに私は、包括的な核実験禁止条約に関する早期の妥結を目指し、間もなくモスクワでハイレベルの議論を始めることに合意しました。第二に、この問題についての我々の誠意と厳粛な信念を明らかにするために、アメリカ合衆国は、他国が行わない限り、大気圏内における核実験を自ら行わないことを宣言いたします。この演説を行った大統領は、交渉の過程で妥協を強いられつつも、演説中で述べられている首脳との間で条約を締結した。
問3
前の文章中の空欄( ウ )の国の歴史について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
問4
前の文章を参考にしつつ、この演説中で述べられている交渉相手の首相の国 あ・いと、締結した条約の内容X・Yとの組合せとして正しいものを、後の①~④のうちから一つ選べ。
交渉相手の首相の国
あ フランス い イギリス
締結した条約の内容
X 核実験の全面的な禁止 Y 核実験の部分的な禁止
問5
下線部aの国の歴史について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
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