22年 早稲田 文構 世界史

問題演習

【Ⅰ】

以下の資料A~Dに関連して、設問1~4に答えなさい。 

資料A
資料B
資料C
資料D
5

22 早稲田 文化構想 世界史 大問1

1 / 4

設問1 資料Aについての説明として正しいものを次のア~エから一つ選びなさい。

2 / 4

設問2 資料Bは、古代エジプトにおいて多神教から一神教への宗教改革を断行したアメンホテプ4世の妃の胸像である。写実性の高いアマルナ美術を代表するものであるが、この妃の名を記しなさい。

3 / 4

設問3 資料Cは中国四川盆地にあった新石器文化の所産である青銅製の仮面である。この独特な縦目仮面に代表される文化の名称を記しなさい。

4 / 4

設問4 資料Dは中央アメリカに栄えた古代文明遺跡で発見された碑文が刻まれた祭壇である。この古代文明に関する説明として正しいものを次のアーエから一つ選び、 マーク解答用紙の所定欄にマークしなさい。

【Ⅱ】

ローマ帝国を防衛したのは、A常備軍であった。この常備軍は、B初代皇帝アウグストゥスによって創設された。常備軍 最大の単位は、レギオーと呼ばれた軍団であり、一個軍団は5200名ほどの規模であった。アウグストゥスが死去したC紀元後14年の段階では、25個の軍団が存在していた。 軍団は、外敵に面した辺境の属州に主に配備されていた。このことは、見方を変えれば、内地にはほとんど軍事力が存在しなかったことを意味する。外敵は辺境で撃退することがローマ帝国の防衛の基本方針であったのである。このような防衛体制は、「ローマの平和」の期間には有効に機能したが、ゲルマン民族やササン朝ペルシアの侵入によって防衛線がしばしば突破されるようになると、十分に機能しなくなった。このため、ローマ帝国の防衛体制は次第に大きな変容を余儀なくされた。

3

22 早稲田 文化構想 世界史 大問2

1 / 5

設問1 下線部Aに関連して、共和政期のローマの軍隊について述べた文として正しいものを下記の文ア~エのうちから一つ選びなさい。

2 / 5

設問2 下線部Bの人物は、アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラの連合軍を破った。この海戦が行われたのは、現在のどこの国においてであったか。その国名を記しなさい。

3 / 5

設問3 下線部Cの年に在位していた中国の皇帝の名を記述解答用紙の所定欄に記しなさい。

4 / 5

設問4 下線部Dの民族について述べた文として誤っているものを下記の文ア~エから一つ選びなさい。

5 / 5

設問5 下線部Eの王朝について述べた文として正しいものを下記の文ア~エのうちから一つ選びなさい。

【Ⅲ】

東南アジアは広大な世界であり、その歴史的展開は一様ではない。例えば、紀元後数世紀までには、A「インド化」の影響を受けた国家が多くの地域で成立するが、紅河デルタ周辺は10世紀までは中国の歴代王朝の支配下にあり、独立後も他の地域と違って、中国に由来する宗教、制度、文字などが見られる。また、Bおおよそ13世紀を境に、諸島部ではイ スラームの影響が、大陸部では上座部仏教の影響が色濃い国家が主流となるが、フィリピン諸島の多くでは15世紀になっても国家と見なせるような政治形態は出現しなかった。 このように、歴史のモザイクとも言える東南アジアだが、C19世紀以降はその全域が植民地主義という共通の歴史的体験を持つようになる。当時、唯一植民地化を免れたDタイ(シャム)でさえ、植民地主義とその経済から無関係ではいられなかった。 第二次世界大戦後の脱植民地化のあり方も一様ではなく、( E )のように旧植民地宗主国との戦争経験を持つ国家もあれば、大戦前からの自治政府の延長上にあって独立戦争を経験しなかった国家もある。また王が主導する形で独立政権に移行した例もある。

2

22 早稲田 文化構想 世界史 大問3

1 / 5

設問1 下線部Aに関して、誤っている記述を次のア~エの中から二つ選びなさい。

2 / 5

設問2 下線部Bに関して、正しい記述を次のア~エの中から二つ選びなさい。

3 / 5

設問3 下線部Cに先立って東南アジアに進出したヨーロッパの2国によって1494年に締結され、植民地分界線を修正した条約名を記しなさい。

4 / 5

設問4 下線部Dに関して、誤っている記述を次のア~エの中から一つ選びなさい。

5 / 5

設問5 空欄Eに入る適切な国名を次のア~エの中から一つ選びなさい。

【Ⅳ】

次の文章を読み、設問1~6に答えなさい。

東アジアでは漢代以降、中国皇帝と周辺諸民族の首長もしくは国王との間に官爵を媒介とする政治的な関係が結ばれた。その始まりは紀元前2世紀にベトナム北部地方に勢力をもった( A )が南越王に冊封されたことや、燕より亡命し朝鮮半島北部で建国した( B ) が朝鮮王に冊封されたことに始まるといわれる。こうした政治的な関係は、曲折を経ながらも清朝末期まで継続し、朝鮮王朝(李氏朝鮮)、ベトナムの阮朝、琉球などは、各々清朝から朝鮮国王、越南国王、琉球国王に冊封されている。ただし、琉球は17世紀以来、清朝と薩摩の島津氏とに両属していた。朝鮮王朝にとって清朝の冊封は圧迫と受け取られることはあっても、琉球との関係は儀礼的、経済的側面が主であったといわれ、(C)ベトナムの場合は境界を維持する機能があったといわれている。注目されるのは、こうした政治的な関係は周辺諸国でも内面化されたことである。たとえば、(D)日本政府は1872年に琉球王を琉球藩王に冊封し、それまで島津藩が管轄していた琉球を外務省に移管した。続いて1879年に沖縄県を設置することによって琉球王国は滅びた。また、日本政府は韓国 (大韓帝国)を併合する際に国際条約とは別に、韓国皇帝を李王に冊封している。こうした2000年以上にわたる東アジア前近代の政治構造は、(E)1911年に起きた。( F )によって完全に終焉を迎えた。

1

22 早稲田 文化構想 世界史 大問4

1 / 7

設問1 空欄Aにあてはまる人名を記しなさい。

2 / 7

設問2 空欄Bにあてはまる人名を記しなさい。

3 / 7

設問3 下線部Cに関連して、清国とベトナムの阮朝との関係はフランスのベトナムへの侵攻によって大きく変化するが、その過程について、イ~ホを年代順にならべると2番目はどれか。

4 / 7

設問3 下線部Cに関連して、清国とベトナムの阮朝との関係はフランスのベトナムへの侵攻によって大きく変化するが、その過程について、イ~ホを年代順にならべると4番目はどれか。

5 / 7

設問4 下線部Dを前後して、琉球民が台湾に漂流し殺害される事件が発端となり、日本は台湾に出兵した。この台湾出兵について次のイ〜ニの中から誤っているものを一つ選びなさい。

6 / 7

設問5 下線部Eの前年に日本は韓国を併合したが、その説明として誤っているものを次のイ〜ニの中から一つ選びなさい。

7 / 7

設問6 空欄Fにあてはまる語句を記しなさい。

【Ⅴ】

次の文章を読み、設問1~5に答えなさい。

アフリカ大陸へのイスラームの伝播は、正統カリフ時代のエジプト征服に始まる。ビザンツ帝国からエジプトを奪ったアラブ軍は、A支配の拠点として現在のカイロの近くに新都フスタートを建設した。エジプト以西への進出は当初順調 には進まなかったが、 ウマイヤ朝時代になってモロッコまでのB北アフリカ一帯を征服し、さらに海を渡ってイベリア半島に進出した。西アフリカのサハラ砂漠南縁に成立したガーナ王国は、ラクダを用いたCサハラ砂漠を縦断する貿易によって栄えていたが、8世紀以後、この貿易をムスリム商人が担うようになった。11世紀後半に、Dムラービト朝の攻撃によってガーナ王国が衰退すると、西アフリカのイスラーム化が進んだ。イスラーム教徒の支配者が治めるEマリ王国、次いでソンガイ王国が繁栄し、両王国のもとで栄えたニジェール川中流の交易都市トンブクトゥは、西アフリカにおけるイスラームの学問の中心地として発展した。

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22 早稲田 文化構想 世界史 大問5

1 / 5

設問1 下線部Aのように、正統カリフ時代からウマイヤ朝時代にかけてのアラブ=ムスリムの大征服において、征服地の軍事・政治拠点として各地に建設された軍営都市を何と呼ぶか記しなさい。

2 / 5

設問2 下線部Bの地域で19~20世紀に起きた出来事の説明として誤っているものを、次のア~エの中から一つ選びなさい。

3 / 5

設問3 下線部Cの貿易で、北側から南側へ輸出された主要な交易品として最も適切なものを、次のア~エの中から一つ選びなさい。

4 / 5

設問4 下線部Dの王朝について、次のア~エの中から正しいものを一つ選びなさい。 

5 / 5

設問5 下線部Eを治めたある王は、1324年に大勢の従者を引き連れてメッカ巡礼を行い、その帰途にエジプトやモロッコから著名な学者や建築家を招くなどして、西アフリカにイスラーム文化を広めるのに貢献した。この王の名前を記しなさい。

【Ⅵ】

同じ年に、以下の順に作成された次の2つの史料を読み、設問1~7に答えなさい。

1. 国民の声によって招かれたこの位を、Aは孫のBパリ伯に譲るものである。いまパリ伯の上に生じた大きな任務の、上首尾ならんことを。 2. C反動的な寡頭政府は、パリ人民の英雄的行動によってうち倒された。…しかし今度こそはこの痛ましい血は裏切られないであろう。それは国民の政府、人民の政府をかちとったが、この政府は偉大にして勇敢な人民の権利と進歩と意思とに結びつくものである。…2月24日の議会で生まれた臨時政府は、国民の勝利を確保し組織する役目を一時的に与えられた。臨時政府は、デュポン、 ラマルティーヌ、クレミュー、アラゴ(D学士院会員)、 ルドリュ=ロラン、ガルニエ=パジュス、マリの各氏からなり、また政府はアルマン・マラスト、( E )、…の諸氏を秘書とする。…臨時政府が宣言する人民政府のもとにあっては、全市民が長官である。臨時政府はF共和政を望む。それはまだ人民の承認を得ていないがただちに相談されるであろう。すなわち、これからは市民の全階級から形成される国民の統一体であり、国民自身による国民の政府である。 (出典:『西洋史料集成』平凡社、1992年より一部修正・割愛して抜粋)

1

22 早稲田 文化構想 世界史 大問6

1 / 6

設問1 下線部Aの君主の名を記しなさい。

2 / 6

設問2 下線部Bの人物について述べた文として正しいものを、次のア~エの中から一つ選びなさい。

3 / 6

設問3 史料2の名称として正しいものを、次のア~エの中から一つ選びなさい。

4 / 6

設問4 下線部Cに該当する呼称として適切なものを、次のア~エの中から一つ選びなさい。

5 / 6

設問5 下線部Dに関連して、アカデミー=フランセーズを創設した人物の名として正しいものを、次のア~エの中から一つ選び、 マーク解答用紙の所定欄にマークしなさい。

6 / 6

設問7 下線部Fに関連して、近世に共和国を名乗ったことがあるヨーロッパの国あるいは都市の名として誤っているものを、次のア~エのなかから一つ選びなさい。

【Ⅶ】

ある地域について言及し、古いものから時代順に並べられた次の史料1~3を読んで、設問1~5に答えなさい。

史料①
非協力国民が寄せていた信頼は、( A )政府によって裏切られ、( A )の人々は、今や、( B )を打ち建てんと決意するに至った。今年開かれた会議派の特別集会以前に試みられた方法は人々の権利と自由を十分に確保することができなかったし、多々の深刻な不正…を正すには至らなかった。

史料②
ムスリムは、通常認識されているような意味で、マイノリティーであるわけではない。現状をよく見渡していただきたい。現在でも、( C )領( A )のなかで、11州中 4州ではムスリムが実質的に優勢であり、会議派…の執行部が( C )への非協力を宣言し…ているさなかにも、正常に機能しているのだ。国民というものをどのように定義付けるにしても、われわれムスリムは国民であり、故地、領域、国家をもたねばならない。

史料③
( A )政府と、( D )政府は、今後両国が、その持てる資源と労力を両国民の福祉の向上という急務の遂行に捧げるため、これまで両国の関係を阻害してきた紛争と対立を終わらせ、友好、調和関係を促進…することを決意する。 (出典:歴史学研究会編『世界史史料』 岩波書店より一部修正・割愛して抜粋)

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22 早稲田 文化構想 世界史 大問7

1 / 5

設問1 史料①は、ある団体が行った決議の一部である。この決議が行われた年に起こった出来事として最も適切なものを次のア~エの中から一つ選びなさい。

2 / 5

設問2 空欄Aにあてはまる適切な語句を記しなさい。

3 / 5

設問3 空欄Bにあてはまる語句の意味として最も適切なものを次のア~エの中から一つ選びなさい。

4 / 5

設問4 空欄Cにあてはまる適切な語句を記しなさい。

5 / 5

設問5 史料2の主張をした人物は、史料3の空欄Dにあてはまる国が独立した際に主導的な役割を担った。その後、空欄Dにあてはまる国から分離し、別の独立国として国際連合に加盟した国の名称を記しなさい。

【Ⅷ】

次の文章を読み、図A~Cを見て、設問1~5に答えなさい。

男女平等をめざす( a )運動と連動して、アメリカの美術史家リンダ=ノックリンが1971年に『なぜ偉大な女性アーティストはいなかったか』という論文を発表して以来、女性アーティストへの関心が高まり、1980年代にかけてその存在が歴史のなかから発掘された。最近では#MeToo 運動の高まりのなかで、ふたたび女性アーティストに注目が集まっている。以下はこうした動きのなかで取り上げられてきた画家たちの作品である。

図A
図B
図C
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22 早稲田 文化構想 世界史 大問8

1 / 6

設問1 空欄aにあてはまる言葉を記しなさい。

2 / 6

設問2 図Aは17世紀オランダで活動したユディト=レイステルの作品である。長い間その名前すら忘却されていたが、市民の日常生活を描いた作品は、同時期の男性画家と同様の主題や作風を示している。この絵にもっとも近い時代に描かれ、似た作風をみせる絵はどれか選びなさい。次の問いで作者名を答えてもらいます。

3 / 6

設問2 図Aは17世紀オランダで活動したユディト=レイステルの作品である。長い間その名前すら忘却されていたが、市民の日常生活を描いた作品は、同時期の男性画家と同様の主題や作風を示している。この絵にもっとも近い時代に描かれ、似た作風をみせる絵はどれか前問で答えた絵の作者を答えなさい。

4 / 6

設問3 図Bの作者エリザベート・ルイーズ=ヴィジェ・ルブランは、王立アカデミーに所属する550人の会員中たった14人しかいなかった女性画家の1人だった。ルイ16世の王妃を描いた本作は、麦わら帽子やカジュアルな服装が王族を描くには不適切なものとされ展覧会から撤去された。この絵に描かれている人物は誰か。次のア~エから一つ選びなさい。

5 / 6

設問4 図Bの作者が活躍した同時期、同じような作風で描いた画家は誰か。ア~エから一つ選びなさい。

6 / 6

設問5 図Cは19世紀フランスの画家ベルト=モリゾが描いた自画像である。共に絵を学んだ姉2人は結婚後に絵をやめてしまうが、彼女は理解ある夫の助けを受け、娘を育てながら生涯制作を続け、プロの画家として活動をした。本作について述べた説明文のうち、ア~エから正しいものを一つ選びなさい。

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