2022年 共通試験 世界史B 第4問

世界史 共通22

歴史上の出来事や人物に対しては、異なる解釈や評価が生じることがあ る。歴史評価の多様性に関わる次の文章A・Bを読み、後の問い(問1~6)に答え よ。(配点17) 

A 次の資料は、イギリス人作家ジョージ=オーウェルがスペイン内戦に人民戦線側で従軍した体験に基づいて著し、内戦のさなかに出版した書物の一節である。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。) 

資 料 

7月18日に戦闘が始まった時、ヨーロッパの反ファシストの人々は皆、 希望に身震いしたことだろう。ついに、この地で民主主義がファシズムに対して、はっきりと立ち上がったからだ。この10年に満たない数年間、民主的といわれる国々は、ファシズムに負け続けるという歴史を歩んできた。例えば、a日本人の望むままの行動が容認されてしまった。ヒトラーは権力の座に上りつめ、あらゆる党派の政敵の虐殺に手を付け始めた。そして、b53ほどの国々が戦争の舞台裏で偽善的な言い合いをしている間に、ムッソリーニはアビシニア人を爆撃した。しかしスペインでは、穏健な左翼政府が転覆されかかった時、予想に違って、スペインの人々は立ち上がったのだ。それは潮の変わり目のように思えたし、恐らくはそうだった。 

上の資料から窺えるように、オーウェルは、ヒトラーやムッソリーニの政権と同様に、同じ時期の日本の政権をファシズム体制だとみなしていた。c世界史の教科書には、これと同様の見方をするものと、日本の戦時体制とファシズムとを区別する立場から書かれているものとがある。どちらの見方にも、相応の根拠があると考えられる。

問1

下線部aは、オーウェルが、日本あるいは日本軍が関わった出来事を指して述べたものである。この出来事について述べた文として最も適当なものを次の①~④のうちから一つ選べ。

5
2022年 共通試験 世界史B 4-1

正解は②

① ノモンハン事件は内外モンゴルの境界(=満州国とモンゴル人民共和国の境界)付近で日ソ両軍が衝突した事件。日本が大敗しているので、正解にならない。
② 満州国の建国はリットン調査団を経て国際連盟が承認しなかったものの結果として建国を強行した。これを表している。
③ 台湾獲得は1895年の下関条約による。「この10数年」という期間にあてはまらない。
④ 真珠湾攻撃は1941年。これより後の出来事。

問2

前の資料中で、ヒトラーが「虐殺」しようとした「あらゆる党派の政敵」と表現されている組織の一つと、下線部Bに関連した出来事について述べた文との組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

6
2022年 共通試験 世界史B 4-2

正解は①

① ヒトラーは国会議事堂放火事件から共産党を弾圧している。また、ムッソリーニはエチオピア併合を行った。国際連盟はこれに対して効果的な制裁を加えることができなかった。
② 9か国条約はワシントン会議で締結された中国における門戸開放・機会均等を定めた条約
③・④ 第1インターナショナルは19世紀に存在した組織。また、イタリアのリビア併合は第一次世界大戦前のこと。

問3

下線部Cについて議論する場合、異なる見方あ・いと、それぞれの根拠として最も適当な文W~Zとの組合せとして正しいものを、後の①~④のうちから 一つ選べ。 

異なる見方 
あ スペイン内戦の時期から第二次世界大戦期にかけての日本の政権は、ファシズム体制だったと言える。
い スペイン内戦の時期から第二次世界大戦期にかけての日本の政権は、ファシズムとは区別される体制だったと言える。 

それぞれの根拠
W ソ連を脅威とみなし、共産主義運動に対抗する陣営に加わった。 
X 国民社会主義を標榜し、経済活動を統制した。
Y 政党の指導者が、独裁者として国家権力を握ることがなかった。
Z 軍事力による支配圏拡大を行わなかった。

4
2022年 共通試験 世界史B 4-3

正解は①

日本がファシズムだったという根拠はW。ドイツ・イタリアとの同盟が「共産主義に対抗する陣営に加わった」ということである。日本がファシズムでなかったという根拠はY。ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニのような独裁者がいなかったということである。X国民社会主義はドイツのヒトラーが唱えている。Z日本は東南アジアなどで勢力を拡大していった。

 

B あるクラスで、次の絵画を基に、先生と生徒たちが話し合っている。 
先生:これは、ロシアの君主とその皇子とを題材にした絵画です。 

高山:手前の男性の頭部から血が流れているように見えますが。
先生:「( ア )が怒りに我を忘れて息子を撲殺してしまった後、正気に戻り、後悔している情景を表しているそうです。
阿部:怖い絵ですね。実際の出来事なんですか。 
先 生:そのようです。こうした事件もあったため、彼はロシアで初めて正式にツァーリ(皇帝)を称したものの、その功績についてはロシアでも評価が割れています。また、強烈な個性から「雷帝」とも呼ばれています。
小 泉:同一人物へのそのような評価の違いは、他の地域でも見られるのですか。
先 生:有名なのは、「( イ )でしょう。明を建国した彼については、対照的な肖像画が複数残されています。教科書や資料集にも載っていますね。
小泉:確かに全く印象が違います。  
先 生:ここで改めて( ア )の話に戻ると、彼については、ソ連の映画監督エイゼンシュテインが長編映画を製作し、賞賛を受けました。そのエイゼンシュテインは 1938年、13世紀にドイツ騎士団を撃退したアレクサンドル=ネフスキーをロシア史上の英雄として称える映画を完成させましたが、dこの映画は1939年から41年までソ連で上映が禁止されることになりました。( ア )を扱った映画でも、その続編では「( ア )の描き方の変化を理由に、エイゼンシュテインは時の指導者スターリンの逆鱗に触れました。そこには、ロシア史上の権力者に対する評価の違いが反映されていたのです。 

問4

前の文章中の空欄( ア )の人物の治世に、ロシアで起こった出来事について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

5
2022年 共通試験 世界史B 4-4

正解は④

( ア )に当てはまるのはイヴァン4世。④ イェルマークにシベリア進出をさせたのがこの時代の出来事。① ステンカラージンの乱はロマノフ朝の時代。当時はアレクセイの時代であるが、アレクセイに関しては高校世界史ではほとんど見かけない人物。② キエフ公国のウラディミール1世。③ キプチャク=ハン国はバトゥが13世紀に建国した国。

問5

前の文章中の空欄( イ )の人物が徴税のために始めた政策あ・いと、世界史上の税制の歴史について述べた文X~Zとの組合せとして正しいものを、後の①~④のうちから一つ選べ。 

徴税のために始めた政策 
あ 一条鞭法の導入    い 賦役黄冊の作成 

税制の歴史について述べた文 
X イギリス東インド会社は、インドの農民から直接に徴税を行うザミンダーリー制を整備した。
Y 共和政ローマでは、騎士身分(騎士階層)が属州の徴税を請け負って、富を蓄積した。 

Z イギリス政府は、北アメリカ植民地の抵抗にもかかわらず、印紙法を撤回 しなかった。

4
2022年 共通試験 世界史B 4-5

正解は⑤

空欄( イ )は明の建国者だから洪武帝。かれは賦役黄冊という租税台帳を作った。魚鱗図冊と共に確認する。一条便法は明代中期から始まった税制なので、違う。
X この内容はザミンダーリー制ではなくライヤットワーリー制。Z 印紙法は「代表なくして課税なし」というスローガンの下激しい抵抗運動が起こったため翌年撤回された。

問6

下線部dの要因に関し、推測される仮説として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

4
2022年 共通試験 世界史B 4-6

正解は②

時期を考えればわかる。上映禁止されたのは1939年から41年の間。1939年に第二次世界大戦がはじまっているのでその時期のものを選ぶ。すると、「独ソ不可侵条約の締結」がある。① 世界恐慌は1929年、しかも、ソ連は世界恐慌の影響をあまり受けなかった。③ コメコンは第二次世界大戦後のこと。④ 十月革命はロシア革命(1917年)の時期のこと。

コメント