ヘレニズム三国
BC323年 アレクサンドロス大王がバビロンで死去
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BC276年 アンティゴノスが建国、都:ペラ
※ 一瞬(BC301~297)だけカッサンドロス朝マケドニアが成立、カッサンドロスはアレクサンドロスの妻や子を殺して王となった重臣、アンティゴノス死後王位についたが結局アンティゴノスの子孫に王位を取り戻された
エジプトの伝統を取り入れ、ファラオが統治、都:アレクサンドリアはヘレニズムの中心地となる
※ ヘレニズム3国の王はすべてギリシア系の人(マケドニア人)
※ カッサンドロス朝(マケドニアの重臣カッサンドロスがアレクサンドロスの妻子を殺して建国、短命だった。
BC3c セレウコス朝シリアからバクトリア・パルティアが独立
ペルシア
① バクトリア
アレクサンドロスの遠征で移住したギリシア人がアム川上流で自立、都:バクトラ(推定)
北西インドに侵入を繰り返す → 滅亡後もギリシア人がインドに住み付くもととなる ※ 最初の仏像はクシャーナ朝
BC139 スキタイ系のトハラ人に滅ぼされた
② パルティア
(6 )に率いられる遊牧イラン人がイラン北部でセレウコス朝から自立
※ クテシフォンはBC2cのミトラダテス1世が建設し、BC1c半以降首都となる、ササン朝の首都でもある
BC1ペルシア語を公用語とし、アラム文字で表記(= イラン化)、パルティア語も使用される
BC2半 メソポタミアも征服、大帝国になる
※ セレウコス朝シリアに迫り、東はインダス川まで、のちローマ帝国の東侵を防いだ
※ パルティアは騎馬戦術を得意とする勇猛な騎馬民族だった(例:パルティアン・ショット)
<衰退>
BC1cローマの東方進出で長期戦となりダメージを受ける
AD2c初頭トラヤヌス帝の時一時クテシフォンを奪われメソポタミア一帯を奪われた
③ ササン朝ペルシア
都:クテシフォン、AD224農耕系イラン人が(11 )に率いられイラン高原南部に建国
226 パルティアを滅ぼす → 「諸王の王」を名乗る、王朝名は祖父ササンより
東方ではインダス川流域まで進出、クシャーナ朝を衰退させる → インドではグプタ朝に交替
西方ではエデッサの戦いでローマを破り、皇帝(13 )を捕虜とする
「イラン人と非イラン人の諸王の王」を名乗る
クテシフォンにホスローのアーチを建設
6c以降東ローマ帝国との抗争で衰退 642 ニハーヴァントの戦いで敗れて滅亡
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