1-16 現代アジア史

世界史

中華民国の成立と中国統一

【中華民国の成立と清朝の滅亡】

1911.10 武昌で軍隊が蜂起、(1       )が勃発

1912.1 (2       )が成立 … (3       )が臨時大総統に就任、首都:南京

              → 袁世凱は清朝から革命の鎮圧を命じられたが、革命派に取引を提案

1912.2 (4       )= 清朝最後の皇帝が退位 → 清朝の滅亡

(5       )は独裁を強化し革命派を弾圧 → 孫文たちは日本に亡命

              → 袁世凱は帝政をもくろむが、病死

【第一次世界大戦と日本の進出】

1914 第一次世界大戦勃発 → 日本は日英同盟を口実にドイツに宣戦

              → 日本はドイツ領南洋諸島や中国の(6       )= 山東省を占領

              → 1915 日本は袁世凱政権に(7       )を提出

1919 (8       )の発生 … 中国における、大規模な反日運動

  • パリ講和会議で、中国が日本の要求の無効を訴えるが退けられたことから発生
  • 1919.3に朝鮮で発生した(9       )にも栄養を与えた
  • 北京政府はヴェルサイユ条約調印を拒否

1921~22 アメリカの主導で(10       )開催

  • 日本の勢力拡大を抑えるため、ワシントン体制を構築 → 日米関係悪化

【国民党と共産党の成立】

1919 孫文が(11       )を結成 … 民族主義・資本主義政党

1921 陳独秀が(12       )を結成 … 社会主義・共産主義政党

1924 (13       )… 国民党と共産党の協力

  • 当時の中国では、袁世凱の死後、軍閥と呼ばれる諸政権が割拠していた

1925 孫文死去 → 新たに(14       )が国民党の指導者となる

1926 (15       )の開始 … 国民革命(中国北方の軍閥打倒)の開始

1927 蒋介石が上海クーデタをおこし、第一次国共合作の収量

1928 北伐を再開

→ 日本は張作霖を支援して統一を妨害するが失敗

→ 大陸進出を狙う日本軍は(16       )で張作霖を爆殺

→ (17       )= 張作霖の子が蒋介石に帰順 = 北伐(中国統一)完了

その後中国ではしばらく国共内戦(国民党と共産党の内戦)が続く

2.戦間期のインド・西アジア

【インド】

第一次世界大戦ではイギリス側で参戦したが、戦後自治の約束は守られず

1919 イギリスが(18       )制定 … 反英運動を弾圧

戦間期に(19       )が(20       )運動を指導

【トルコ】

第一次世界大戦では敗戦国

1919~23 (21       )…(22       )が指導

オスマン帝国滅亡後、1923にトルコ共和国成立

【西アジア】

1915 (23       )… イギリスがアラブ人の独立を容認

1916 (24       )… 英・仏・露で領土を分割する約束

1917 (25       )… イギリスがユダヤ人国家の建設支援を表明

1920 西アジア一帯はイギリス・フランスの委任統治領となる

3.日本の大陸進出と日中戦争・太平洋戦争

1931.9 (26       )勃発 … (27       )=奉天郊外から

・ 日本軍が南満州鉄道を爆破したことを契機に、満州地方を制圧

  • 1932.3 (28       )を建国、日本の傀儡政権、執政は溥儀
  • 1933.3 日本は国連を脱退 … 国連による(29       )が満州国を不承認

1937.7 (30       )の勃発 … (31       )=北京郊外から

・ 中国では国民党と共産党が再び提携 = 第二次国共合作

  • 日本軍は南京や主要都市・道路を抑えたが、国民政府がある重慶は占領できない
  • 戦局の打開と資源の確保のため、日本軍は東南アジアに進駐の
  • 1941.4 (32       )の締結 → 日米交渉が暗礁に

1941.12.8 日本の真珠湾攻撃により(34       )が始まる

・ 日本がハワイの米軍基地を奇襲 → 宣戦布告が遅れて「だまし討ち」の汚名

  • 1942.6 (35       )の敗北後、次第に戦況悪化
  • 1945.4~.6 米軍が沖縄に上陸
  • 1945.8 (36       )を受諾、戦争終結

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