1‐13 アジア諸地域の動揺

世界史

西アジア

① オスマン帝国 

トルコ人が支配する民族国家、東ヨーロッパの強国 But 列強からの圧力

  • オスマン帝国内の民族運動を利用するロシアの南下政策 → 英仏が阻止
  • 1839 (1      )=恩恵改革を開始 … 近代化・西欧化
  • 1876 (2      )を発布 … アジア初の憲法

→ ロシア=トルコ戦争を口実に皇帝アブデュルハミト2世が憲法を停止

  • 1908 (3      )でミドハト憲法を復活

② エジプト 

エジプト人がオスマン帝国からの自立を目指す

  • 1805 (4      )がエジプト総督となり、近代化を進める
  • 1869 地中海と紅海を結ぶ(5      )開通
  • 1875 エジプト政府が売却したスエズ運河株をイギリスが買収
  • 1882 (6      )をイギリスが鎮圧、イギリスの保護国となる

③ アラビア半島 

アラブ人がオスマン帝国からの自立を目指す

  • 18c半 イスラーム原理主義の(7      )がおこる
  • その後滅亡と再興 → 1932 (8      )が成立、サウード家が支配

インド

① ムガル帝国の衰退と英仏の進出

  • 英仏が植民地抗争 → 1757 (9      )でイギリスが勝利
  • 18cまで イギリスがインドから綿織物を輸入
  • 19c イギリスはインドから綿花を輸入、綿織物を輸出

→ イギリスは徴税権も握り、インド人のイギリス支配に対する不満が増大

② イギリスによるインド支配の完成

  • 1857 (10      )→ インドの大反乱に発展
  • 1858 イギリスがムガル帝国を滅ぼし、直接支配に乗り出す
  • 1877 イギリス領(11      )の成立 = インドの植民地化が完成

東南アジア

① ビルマ(ミャンマー)… (12      )が滅ぼす

② タイ … (13      )の近代化で独立維持

③ マレー半島 … (14      )の植民地

④ インドシナ半島 … (15      )の植民地

⑤ インドネシア … (16      )の植民地

⑥ フィリピン … スペイン領 → (17      )の植民地

中国

① イギリスの自由貿易要求

  • 清はイギリスにも朝貢形式での制限貿易を要求
  • イギリスは中国の(18      )・絹・陶磁器を輸入、(19      )が流出
  • イギリスは中国に(20      )を要求、拒否される
  • イギリスはインド産の(21      )を中国に密輸、銀を回収

② アヘン戦争(1840~42)

  • アヘン貿易を取り締まった清にイギリスが宣戦、圧勝
  • イギリスは南京条約で中国を開国させ、(22      )を獲得

③ アロー戦争(1856~60、第二次アヘン戦争)

  • イギリスがフランスを誘って開戦・勝利 → 天津条約・北京条約で開港場を追加
  • 東アジアの冊封体制・朝貢体制は崩壊

④ 民衆の抵抗と中国近代化

  • (23      )1851~64 … 「滅満興漢」を掲げた民衆の反乱
  • (24      )1860~80年代 … 「中体西用」、近代化に失敗
洪秀全は客家(ハッカ)の農民出身である。客家とは華南に分布する集団で、華北からの移住者の子孫といわれ、先住者とは言語・習慣の面で異なっていた。彼は科挙の試験に失敗し、失意の病床で天国にのぼって天父上帝に会った夢を見たという。夢に現れたのはヤハウェであり、同伴していたのはイエスであると信じるにいたり、自分はイエスの弟であるとし、同志を集め拝上帝会を組織した。彼は偶像破壊の立場をとったので迫害を受けたが、アヘン戦争後の社会不安の広がった広東・広西社会で、失業者や貧農、反清的秘密結社などをひきつけた。(山川出版社)

⑤ 中国分割

  • (25      )1894~95 … 清が敗北、列強は中国の領土を分割
  • (26      )では清が列強に宣戦 But 敗北し、半植民地化が確定

⑥ 朝鮮の開国と日本の進出

  • (27      )1875、日朝修好条規(1876)で日本が開国させる
  • 日露戦争後、日本が韓国の保護権を強化、1910年に(28      )
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アジア諸地域の動揺1

1 / 11

ギリシア独立戦争後,ムハンマド=アリーが支援の代償としてシリアの領有と独立を求めて,オスマン帝国に対して2回おこした戦争は何か。

2 / 11

イブン=アブドゥル=ワッハーブが「ムハンマドの教えに帰れ」ととなえた,イスラーム改革派を何と呼ぶか。

3 / 11

1881年におこったエジプト民族主義運動の指導者は誰か。

4 / 11

ウラービーの運動時に,掲げられたスローガンは何か。

5 / 11

ワッハーブ派と協力して,18世紀半ばにワッハーブ王国を建てた,アラビア半島中部の豪族は何家か。

6 / 11

1869年に開通した,地中海と紅海を結ぶ運河は何か。

7 / 11

1877〜78年のロシア=トルコ戦争を口実に,ミドハト憲法を停止したスルタンは誰か。

8 / 11

ワッハーブ王国を前身とする国は,1932年に何と改称したか。

9 / 11

1839〜76年にオスマン帝国が実施した,上からの近代化をめざす西欧化改革は何と呼ばれるか。

10 / 11

1876年にオスマン帝国で制定された,二院制議会と責任内閣制を採用したオスマン帝国の憲法の名称は何か。

11 / 11

ナポレオンのエジプト遠征とその後の混乱を鎮め,オスマン帝国からエジプト総督の地位を与えられ、エジプトを事実上の独立に導いた人物は誰か。

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アジア諸地域の動揺2

1 / 8

1757年,イギリスがフランスとベンガル太守の連合軍に大勝し,インドにおける優位を確立した戦いは何か。

2 / 8

18世紀初めのアウラングゼーブ帝の死後,デリー周辺だけの小勢力となったインドの帝国は何か。

3 / 8

ヴィクトリア女王のインド皇帝への即位で成立した,インド植民地の呼び名は何か。

4 / 8

1857〜59年に北インド全域に拡大した,シパーヒーの反乱から始まったインド初の民族的反乱を何と呼ぶか。

5 / 8

東インド会社が雇用したインド人傭兵を何と呼ぶか。

6 / 8

イギリスのヴィクトリア女王が1877年に即位を宣言し,その地位についた称号は何か。

7 / 8

1868年に即位し,タイの近代化・独立維持に努めた国王は誰か。

8 / 8

赤字貿易解消のため,18世紀末からイギリスがインドを加えて中国とのあいだで展開した貿易を何と呼ぶか。

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144
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アジア諸地域の動揺3

1 / 14

アヘン戦争後の南京条約でイギリスに割譲された地域はどこか。

2 / 14

洪秀全が掲げた,民族主義的スローガンは何か。

3 / 14

1851~64年に展開された,近代中国史上最大の反乱(民族運動)は何か。

4 / 14

1856年にイギリス・フランス連合軍がおこした,中国侵略戦争は何か。

5 / 14

1910年,日本が韓国を完全に植民地化したことは何と呼ばれるか。

6 / 14

広西での挙兵から始まった太平天国の指導者は誰か。

7 / 14

1875年,朝鮮沿岸での日本軍艦への砲撃を口実に,日本が上陸・略奪を行った事件は何か。

8 / 14

1851年に洪秀全の反乱軍が建てた国の名称は何か。

9 / 14

洋務運動の推進者の基本的な精神は何と呼ばれたか。

10 / 14

1840年,イギリスが開始した中国侵略戦争は何か。

11 / 14

1842年に調印された,アヘン戦争の講和条約は何か。

12 / 14

清末期同治帝時代に展開された,西洋技術の導入により富国強兵をはかろうとした近代化運動を何と呼ぶか。

13 / 14

1860年に締結されたアロー戦争の講和条約は何か。

14 / 14

1876年,上記5を契機に日朝間で結ばれ,朝鮮を開国させた不平等条約は何か。

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